そしてかまぼこ型の体育館の気仙沼女子高校。ここもなくなってしまうらしい・・・
昭和の宮城県沖地震、学校帰りスーパーマンの時計屋さんの前で地震!バスが揺れ、街灯が落ち、スーパーマンの時計屋さんの時計は全て崩れ落ち、おじさんは逃惑い、友達と走って帰った。
白い建物の先に自分家があり、津波が来るってことで高台のホテル望洋に避難、どこかワクワクしながら海を眺めていた、その頃は道路を挟んですぐ海で、今のように岸壁は無かった、結果数十センチの津波が来ただけで津波解除、家に帰り母親、兄、自分の3人でロウソクの灯りとラジオで一晩過ごした事を思い出す。
通学路、遊び場、友達の家、思い出。 |
鹿折地区はいまだに冠水が酷く、瓦礫撤去に着手出来ないらしい・・・
気仙沼、幼少時代を過ごした想い出のまち。復興を遂げるのはいつの日だろう・・・
by osamu
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